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お茶の歴史

   
鹿児島茶の歴史

 お茶の歴史は古く、その原産地は中国雲南地方といわれており、そこから世界に広がっていったと考えられています。(福建語-テ、広東語-チャ)映画レッドクリフ、にお茶の飲み方のシーンがあります!


 日本へは、8世紀頃当時遣唐使として中国へ渡った留学僧たちにより、茶や茶の種子がもたらされたらしい…(送別会などで茶を酌み交わし…などと記載が有った様です)
その後、臨済宗の開祖であり茶祖と呼ばれる栄西禅師が、宋の時代(中国)に持ち帰った茶の種子を、佐賀県の背振山に蒔き、国内に広めたと言われています。(喫茶養生記が有名です)


 さて、鹿児島県のお茶の歴史は…
 およそ今から800年前、金峰町の阿多白川に平家落人が伝えたという説や、足利時代に吉松町の般若寺に宇治から茶種子を取り寄せたという説、野田町の感応寺説などが伝えられています。いずれもロマン溢れる説ですが、島津藩政時代にはお茶栽培を奨励しています。


明治維新後、日本の輸出品の1位は絹、2位はお茶でした。輸出向けの良質なお茶を全国的に栽培製造するために、大久保利通達は品評会を行いました。手もみ茶の時代です。(新潟でも入賞者がありました)
また、昭和40年頃までは、緑茶は勿論、2番茶からの紅茶の生産も盛んでした。以降、緑茶の普及目覚しく、機械化や基盤整備の進展などもあり、現在では生産量全国2位の生産県になり、ますます発展の方向にあります。
普通…歴史の話は中国の唐、宋、明、各時代とからめて…長々と話すんですが…

お茶の歴史面白いよね~


 

お茶の歴史

お茶の歴史
 

さて、いざお茶の歴史探求!
まずは、茶発祥の地、中国の紀元前2800年頃の話…


これは薬としていける、ふむ…これは何やら怪しい…あっ毒だ!しまった!お茶の葉で毒消しだ〜

神農と呼ばれる伝説の方は、人々の為に、薬草か毒草か、食して探し、毒に当る度にお茶の葉を食べて毒を消しましたとさ


まあ、神話の世界!


同じ中国で
紀元前59年王褒の憧約の中に記されています。
主と従者との契約の中に、お茶を購入する、という行があり…つまり、お茶の売買がなされていた、という事になります。(お茶は、貴重品だったようです)


日本では
815年(日本後記)に僧永忠嵯峨天皇に茶を奉った!と出てきます。今のお茶の葉と,かなり見た目や飲み方も違いがある様です。
760年頃に、中国では陸羽茶経(お茶の辞典みたいなもの)を書いているのにね〜

遣唐使の時代、中国からいろいろ伝播している様です。


当時のお茶は…お茶の葉を摘み、蒸し、臼で搗いて、ドーナツ型にまとめ、火であぶり乾燥保存(各段階で職人技が必要)
飲む時は(喫する時は)、塊の茶を火であぶる、削る、湯を沸かす(細かい記載有)一部抜き取る、沸いた湯の中に茶葉を投入、頃合いを見て途中で抜いていた水を足す(茶の葉が下に沈みます)、少し塩が入ります。杓ですくって器に入れ酌み交わしていたらしい。

今のお茶でやってみたら…
微妙…
ただね、水色は保持され、香りが、口の中で尾を引き…その当時のお茶で試したいな〜


映画「レッドクリフ」
の中で、茶経の作法どうりにお茶をいれるシーンを観た時、妙に感動してしまった。(後日、熊本県のS本さんもそのシーンに膝を叩いたらしい…)
きっと、天然の霧深い場所の茶の木、手摘みの高級茶葉で、蒸されるまで籠の中でゆらゆら揺られ…香りがきっと、花の香がするやろうな〜(勝手な妄想です)

 

 

今から約1200年前に伝えられたお茶…

1191年臨済宗の開祖であり、茶祖と呼ばれる様になる禅師、栄西が宋より帰国し、佐賀県の背振山に種を蒔いたらしい。(帰国した季節が、はたして種を蒔く時期だったか?)この頃より各地に茶園がつくられていきます。


1214年
喫茶養生記の中でお茶の効能等紹介してます。お茶は延命の妙薬!!だそうです。五臓六腑は大切で、中でも心臓に良いのが茶の苦味の成分らしい…

ちなみに、この時代のお茶は…抹茶っぽいですぅ〜(茶筅の絵があります)

ここで不思議なのが、日本では、茶の湯文化として現代に伝承されているのに、本家の中国では抹茶文化は聞きませんよね〜!?大陸で、宋から元に、他民族の激変は時に文化面まで根こそぎ打ち砕かれるのでしょうか…?
誰か教えて〜


明の洪武帝が、民の労力が大変なので散茶でよし!とし、釜茶になったのは納得いきますが…15世紀明で釜茶が作られはじめ、ほどなく日本にも伝播し、いまでも嬉野、熊本、宮崎などで見かけます。


先に伝えられた抹茶は、千利休で茶の湯文化に発展します。「食は飢えぬほど、家は漏らぬほど、花は野の花の如く」素晴しい!!やはり金ぴか茶室の秀吉とは…隔たりを感じます。


江戸時代に至り、上下差無くお茶を飲めるようになります。
基本的に、抹茶は貴族、僧侶、特権階級(金持ち町人等も)

文人達の間では煎茶志向もあり、1738年に蒸し製煎茶が出来ます(今で言う手揉み茶)1756年大枝流芳「青湾茶話(煎茶仕様の書)を書きます。庶民達は、その殆んどが番茶を飲んだようです。日常茶飯もこの頃からか?


1835年
玉露が登場です。
抹茶は幕府の規制作物でしたが、同じような栽培で摘まれた茶葉から玉露が出来ますから、幕末の頃には幕府の統制も衰えていたのかも知れません。

 
さぁ〜明治です…

明治政府は、日本を強い国にする為、諸外国の最先端を学び…奔走します。外貨を稼ぐ為、絹とお茶は重要な輸出品となりました。

お茶は…この頃、少量の抹茶、玉露、手揉み煎茶、釜茶、各地独特の番茶がありましたが、相手先のリクエストは手揉み煎茶が多かった様です。で、全国で手揉み煎茶を推奨する為に、今で言う品評会を行います。(新潟県でも優秀な賞を貰った方があったのです)

煎茶だ、煎茶だ〜って感じで、各地で盛んに生産されます。自然と各地の番茶は姿を消していきます。グリーンティーだからってんで、なにやらあやしい着色の茶も作られて…勿論クレームの元になりしました。各地には茶業組合も組織され、本腰を入れて良質なお茶が生産されていきました。

一番茶は緑茶で価値がありましたが、二番茶の値打ちを上げるため、紅茶の製造も盛んになります。各地に紅茶伝習所も設けられます。ここ鹿児島は、紅茶のメインの産地だったんですよ!!


江戸の幕臣達は明治維新で失業後、静岡の牧の原を中心に茶園事業に着手します。1906年念願の清水港が輸出港になることで、それまで横浜に多くあった茶再生工場(仕上げ工場)も静岡に移転し、全国で生産されるお茶の集散地の座を確立することになりました。

今でこそ全国の茶園のイメージはかまぼこ方のきれいな波の様な景観ですが、手摘みの茶園は大仏様の頭のような株仕立てだったんです。それが、作業効率を考えてハサミで茶摘みをする事で今の様な園揃えがなされていきます。(茶っきり節の囃し言葉は、ハサミの音です)


第2次大戦後、援助食糧の見返り物資に茶の輸出が再開します。しかしほどなく諸外国の安いお茶が勢いを増し次第に日本の緑茶は自国内で消費されるようになります。紅茶にいたっては、昭和30年代に生産のピークがあったんですが、南米のお得意様の国が一切購入しないことで、壊滅的に生産が途絶えました。

緑茶の方は生産の機械化や茶園の集約化も進み、安定した生産体制が整っていきました。

そして、緑茶の缶入りドリンク登場…お茶関係の人たち「不味いし売れんやろ〜」だったんです…

そしてペットボトルの登場で(国内にコンビニも広がり)今の様な現状です。茶業界の横綱です。

お茶は各時代に合わせて確実に進化してます。一口に「お茶の文化」と言いますが、少なくとも、数千年の歴史はあるのですが、我々が飲んでいる今の一般の機械で製造する煎茶はまだ数十年のものです。深蒸し煎茶は兄弟で言えば末っ子ですね。


受け継がれた理由
…(ひとりごと…)
一般の食品と違い、ぜったい無ければ死ぬぅ〜ってもんじゃないですが…自然が与えてくれた恵!身体の調子を色んな面でサポートしてくれてます。お茶の香りで豊な気分になります。疲れを癒したり、一服のお茶が楽しい語らいの場を演出し家族、友人との和を広げます。
また、適度なカフェインが穏やかに作用し、活力の基になります。

 

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